こんにちは。
南条カツミです。
今日は、”生きる事”って、いかに大事か!
“生きるっ!”って、、、どれだけ素晴らしい事なのかっ!
、、、と言う事について、深く考えさせられすぎた体験!、、、をしたので、記述していきたいと想います。
あなたは、どれくらいご自身の命を大切にされていますか?
どれくらい、その命を使って、希望と夢に向かって走れていますか?
どれくらいその命で、愛せていますか?
どれくらい幸せを手に入れるために、、、その命で、走れていますか?
人それぞれ、満足に走れている方も、そうではない方も、様々、いらっしゃるとは想いますが、、、
それも、すべては、”命”が、あるから、成し遂げられる事です。
そんな、めちゃくちゃ大事な、、、”命”、、、
これを読んでいるあなたにも、”命の大事さ”、、、
それを、今、以上に、、、さらに、、、もっと、、、
もっと、深く、、、今より、深く、、、
あなたに、感じて頂きたく、ストーリーを描いていきたいと想っています。
これは、僕が、親父の故郷である鹿児島県に旅行に行った時のお話です。
ぜひ、こちらは、最後まで読んで頂けたらと願っています。
また、文体は、ストーリーを描いていきますので、語尾が”フランク”になっています。
ご了承くださいませ。
また、以下のストーリーでは、”戦争表現”が、記述されています。
苦手な方は、”閲覧注意”でお願いいたします。
南條 カツミ
〜〜〜〜〜〜〜鹿児島ストーリー〜〜〜〜〜〜
鹿児島旅行
~鹿児島旅行 1日目~
2023年 5月
僕達、家族は、鹿児島県に向かって、羽田空港を出発した。
僕の父親の故郷、、、鹿児島県、、、
長年、、、里帰りが、ずっと、できていない、、、
そう感じていた父親が、家族全員を誘って、実行されたものだった、、、
その日、高齢であるおふくろの体調がかなり悪く、とてもじゃないが、飛行機に乗れるような状態ではない、、、
鹿児島まで着けるのか、、、?
っと、めちゃくちゃ心配だったが、なんとか、頑張りを見せて、到着まで持ちこたえてくれた。
初日は、飛行機到着が、20時近かった事もあり、すぐさまレンタカーに乗り換え、鹿児島駅周辺、県内屈指の繁華街!天文館!へ、直行!
そして、”新鮮な地魚”と”特有の地酒”で、地元でも有名な料亭で乾杯!
もちろん、漁港直送!めちゃくちゃ、新鮮、漁れたて、プリプリ、なんなら、、、
日本の秘宝!
東京の魚、、、何?
ぐらい、、
その後、めちゃくちゃ美味しい!、、、のに、せかされるように食して、大急ぎでシティーホテルへチェックイン!
僕達は、翌日に備えた。
ちなみに、僕は、一滴も飲めずっ!
運転者を襲う、悲しすぎる悲劇、、、
そいつを、乗り越え、
翌日。
~鹿児島旅行 2日目~
ホテルのモーニングサービスで、食べ放題の美味しいパンを食べすぎて、、、まあまあ、気持ち悪くなりながらの、、、
出発!
この日は、鹿児島出身であるオヤジの故郷を、ひたすら周る日。(ちなみに、僕は、東京生まれ。)
オヤジが、戦時中に住んでいた少年期を過ごした家。小学校。町。
アメリカとの戦争で、辺りすべてが焼け野原になった鹿児島市内、、、オヤジの実家、、、
当時の荒れ果てた風景から一変して、閑静な住宅街になっている。
すっかり、姿を変えた街並みに、驚きと新鮮さ、その後の日本の成長を感じながらも、、、
うっすら涙を目に浮かべて、、、
懐かしそうに、当時の風景を頭に描いていたオヤジ、、、
なんだか、僕も、妙に心が温かくなり、、、
幸せな気分になった。
はるばる東京から来て、本当に良かった。
僕は、心から、そう想った。
当時の小学校は、建て直され、まだ、その場所にある。
子供のように、はしゃぎながら、当時の昔話をするオヤジは、満面の笑みを浮かべていた。
オヤジは、戦争体験者。
終戦が近くなった、、、とある日、、、
空襲警報が、鹿児島市内に鳴り響いた。
まだ、当時、少年だったオヤジは、家から一番近くの防空壕に、オヤジのお父さんと一緒に、必死に逃げ込む。
直後に、アメリカ軍戦闘機から、、、
バババババババババババババババッ!
っと、無数の鉄の弾丸が、上空から発射された、、、
九死に一生を得るとは、まさにこの事だ。
アメリカ軍戦闘機が、通り過ぎたわずがなスキを狙って、、、
オヤジとオヤジのお父さんは、市内を全速力で脱出して、、、走って、山を越え、、、
農家を営む親戚の家に、なんとか逃げ込む事ができた。
その数ヶ月後、、、日本は、終戦を迎えた。
大日本帝国は、、、敗北を屈した。
オヤジとオヤジのお父さん、そして、家族全員がやがて、そこにたどり着き、
戦後、日本全体が落ち着くまで、その親戚の家でかくまってもらえた。
食事だけは、豊富にできた。
本当に、恵まれていた。
そんな命の恩人である親戚の方、、、の、娘さんと、今日は会う日。
温かく、僕達を迎える彼女。
満面の笑みで、涙を浮かべながら、嬉しそうに、おしゃべりするオヤジ。
やはり、僕の胸は、温かくなった。
当時の感謝の気持ちが、張り裂けんばかりに、オヤジの体から溢れていた。
その後、僕達は、戦時中のオヤジの旧友、いとこの親戚周り、本家のお墓参り。
様々な、スケジュールをこなして、夕方には、観光地である温泉宿(指宿市)に、到着していた。
指宿(いぶすき)名物、ホテル内の”砂風呂”を、家族全員、初体験して、
海が遠くまで見える絶景の温泉にゆっくり浸かり、、、
またまた、めちゃくちゃ美味しい、鹿児島料理!
薩摩牛!薩摩豚!薩摩地鶏!
そんな3種の神器バリの、しゃぶしゃぶやステーキ!
や、角煮!
とか、新鮮なお刺身!
とか、目の前で揚げるさつま揚げ!
とか、さつまいもデザート、、、など、、、
様々なご馳走を堪能して、僕達は、ほどよい酔いの中、就寝した。
~鹿児島旅行 3日目~
3日目は、県内屈指の温泉街を観光した後、(綺麗な海が見える絶景スポット、、、お花畑テーマパーク、、、湖(池田湖))など、、、
2日連チャンで、砂風呂に入りつつ、、、
舌がとろける新鮮なご当地グルメ!
を、3日連チャンで頂いちゃったりしながら、、、
これまた、程よい酔いの中、就寝して、”メイン日”である4日目に備えた。
~鹿児島旅行 4日目~
その日は、知覧特攻平和会館を訪れた。
知覧特攻平和会館とは、、、?
第二次世界大戦の終戦末期に、日本軍が実行した、世界中に有名な戦略!
“特攻隊”
ご存知の方も、多いはず。
帰還分のガソリンは積まずに、”戦地に到着できるのみのガソリン”を積み、、、
アメリカ軍艦に、戦闘機ごと、、、体当たり、、、
自らの肉体と戦闘機を、爆弾と化す、、、”無情な戦略”だ。
彼らが、過ごした宿舎に貼られた紙に、掲げられた”文字”は、、、
“必死”
必ず、、、死ぬ、、、
任命された彼らの行先に、、、
生死の選択肢はなかった、、、
特攻隊員の多くは、青春真っ只中の青年。
17歳、、、18歳、、、19歳、、、20、21、22、23、、、歳。
戦地への特攻命令が、言い渡されるのは、特攻出撃の前日。
夢多き若者は、、、日本国を守るため、、、
任命されるその日まで、毎日、訓練を続けた。
どれだけ、、、怖かっただろう、、、
恐ろしかっただろう、、、
悲しかっただろう、、、
お国の命令とは言え、故郷に生還し、愛する人の場所に戻るために戦う!
生き抜くために戦う!
のではなく、、、
必ず、、、死ぬ、、、
彼らは、特攻指令が下るその日まで、、、”必死”に、訓練を一生懸命に続けた。
とある日、、、朝日新聞社の記者が取材のため、現地の訓練場を訪れた日があった。
特攻命令が下り、翌日にはアメリカ軍艦への特攻出撃が確定している5人組と記者は出会い、
その時に取材を行ったエピソードが、知覧特攻平和会館の館内で流れる映像で語られている。
僕は、流れる映像に目を奪われた。
~子犬を抱く特攻隊員 浜本ゆきひろ~ Yahoo検索 画像より
5人組の青年は、現代でも、充分に通用するくらいの”イケメン”だ。
肌のキメは素晴らしく、綺麗で、整った顔立ち。
そして、勇ましい顔つき。
彼らは、楽しそうに、、、嬉しそうに、、、そして、、、勇敢に、、、
ニコッと、、、笑っていた、、、
間違いなく、作り物の笑顔ではなく、、、
心からの、恐怖を吹り切った、”爽やかな笑顔”だった。
彼らは、明日、、、特攻出撃をする青年達、、、
館内に、音声が流れる。
もし、現代の私達が、彼らと同じ境遇に立たされたのならば、、、
顔はひきつり、、、表情はこわばり、、、
顔色は、真っ青、、、顔面は、蒼白、、、そうなるのではないでしょうか、、、?
しかし、彼らから、そんな恐怖におののいた様子は、一切、感じ取れません。
明るく、楽しそうに、、、明日、まるで、遠足に行く子供のように、、、
楽しみに満ちたような表情をしています。
彼らは、、、
国を守るために、、、日本国民を守るために、、、家族を守るために、、、愛する人を守るために、、、
彼らは、守る、、、助ける、、、と言う、”彼らの任務”を遂行する事を、心から喜ぶような笑顔をしています。
・・・・・・・
実際、写真に写った彼らの表情は、満面の笑みを浮かべている。
様々な、状況や心境があるので、表情だけで、すべての心理を悟るのは難しいが、、、
少なくとも、覚悟は決まっている。
死への恐怖は、克服している。
それだけは、確実にその写真から読み取る事ができた。
なんて、勇敢なんだろう、、、
涙が、止まらなかった。
僕は、会場の隅っこで、人に背を向け、、、一人たたずみ、、、
ただ、立ちすさんでいるフリをして、しばらく、大粒の涙を、しばらく、、、
流した、、、
僕は、自分が恥ずかしくなった。
彼らは、生きたくても、、、生きれない、、、
本当は、生きたい。
もっと生きたい。
ずっと、ずっと、生き続けて、もっと、人生を楽しみたい。
欲しいものだって、ある。
やりたい事だって、まだまだある。
夢だって、、、もちろん、ある。
死にたくない!
絶対に!
でも、自分が犠牲になって戦えば、、、
相手にダメージを与えれば、、、
日本に、勝つ見込みが生まれる、、、
いや、きっと勝てる!
愛する人とお国を、必ず守れる!
必ず、守る!
そう、心に深く想い、、、
勇気を振り絞り、、、
自分を犠牲にする、、、
覚悟を決めた。
まさしく、そんな表情だ。
生きたくても、、、生きれない。
絶対に死にたくない!でも、死ななければならない!
それなのに、彼らは、こんなに、明るく、晴れ晴れとした顔をしている。
りりしい顔をしている。
それに引き替え、、、
成功すれば、助かるのに、、、
うまくいけば、助かるのに、、、
失敗した時の不安と恐怖から、ヒーヒーと恐れれ、おののき、、、夜な夜な、一人、自分の部屋で、
もう!死にたい!
死んでやる!
と、騒ぎたてる、、、
そんな自分が、情けなくなった。
どれだけ、自分が弱いのか、
自分の弱さを、痛感した。
死ぬ事が決まっていても、強気!
なんとかして、うまくいったなら、助かるのに、弱気、、、
僕と、彼らの精神の強さは、文字通り、、、
死ぬほど違う!
どんだけ、臆病で、情けない奴なんだ、、、俺。
彼らに、申し訳ない気持ちになった、、、
僕の、、、死と隣り合わせで戦かった過去。
比べものにはならないかもしれないが、、、
その恐怖は、僕にもわかる
本当に、怖かっただろうな、、、
館内を出た後も、、、しばらく、僕は、涙が止まらなかった。
そして、彼らは、世界中を震撼させた旧日本軍の精神の強さで、今現在の日本をも守ってくれている。
事実、特攻隊の体当たり攻撃により、重要な戦艦に大打撃を受けたアメリカ国、、、
彼らのような勇敢な戦士いることを知り、”日本人の精神”を恐れた戦後のアメリカは、、、
うかつな植民地化をして、日本国を敵に回す事はできず、、、協力体制を取っていく事になる、、、
彼らは、今現在の私達の事も、、、守ってくれた、、、
そしてね、、、
もしも、彼らが、もう、死にたい!なんて、泣きじゃくってる人と、一緒にいる事ができたなら、、、彼らは言うだろう。
おいおい、、、僕らは、生きたくても、、、生きれない、、、
僕らと違って、、、君は、問題を解決できれば、生きていけるじゃないか!
なんのために、僕らが犠牲になったと想ってるんだい?
僕らが、後世に、何を伝えたいと想ってるんだい?
死んじゃいけない!
うまくいくさ!
うまくいくから!
だから!
もっと、笑って、前に進めよっ!
笑って、戦えっ!
っと。
でもね、、、
彼らは、死んだんじゃない。
いや、確かに、その時は、死んだのかもしれないけど、
必ず、また、別の人間として、また、生まれてくる。
この世に戻ってくる、、、
愛する人とお国を守った”手柄”を、、、持って。
彼らは、”また”生まれるために、戦死しただけ、、、
だから、普通の人より、次の人生を、より楽しむプラスのパワーを備えて、、、この世に戻ってくる
必ず、、、必ず、、、必ず、、、
僕は、そう想っている
だから、僕は、そんな”勇敢な彼ら”が、再び、この世に戻って来るその時までに、、、
この世の人が、アンチエイジングや美しさを、たやすく手に入れれるようになっていて、、、
彼らが、より人生を謳歌できる!
生まれ変わった彼らが、今度の人生は、
100年たっぷりと人生を楽しめる!
そんな世界を創りあげていきたい、、、
そんな想いが、脳内、いや、魂の奥底から湧き出てきた、、、
そんな、素敵な旅行だった。
僕は、世界中が、アンチエイジングに満ち溢れた素敵な世界を創っていきたい。
彼らが、また、この世に戻ってくる、、、その時までに、、、
最後まで、お読み頂き、誠にありがとうございました。
南条 カツミ
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